神々の國へ…

祖國日本は、至誠を貫き、率先垂範して國家を經綸し、國體を護持して、その傳統による叡知と努力を世界に捧げて萬葉一統の理想世界を實現すべき責務がある。(『國體護持』 第六章 萬葉一統より)コメントは神々の國へ・・・(FC2版)へお願いします。


原爆

靖國神社を国家護持に

≪「核武装は簡単」、自由党(当時)小沢一郎党首≫

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 本日は、元虐殺国家の米国によって長崎へ原爆が投下された日です。広島の犠牲者の方々も含めて、哀悼の意を表したいと思います。

 ところで、2002年ごろの小沢一郎氏はこんな事を言ってました。

〜ここから〜

◆自由党小沢党首は「核武装は簡単」と発言

 自由党の小沢一郎党首は4月6日、福岡市内で講演し、「中国は超大国になろうと軍事力増強にいそしんでいる」とした上で、最近小沢氏に会いに来た「中国共産党情報部の人」に語った内容だとして「あまりいい気になると、日本人はヒステリーを起こす。(日本が)核兵器を作るのは簡単だ。その気になったら原発のプルトニウムで何千発分の核弾頭ができる。大陸間弾道弾になるようなロケットを持っている」と述べて、中国を強く牽制(けんせい)したことを明らかにしました。
≪関連記事≫
自由党・小沢一郎氏「核武装は簡単」 中国側に軍備増強を牽制(2002.04.07 朝日朝刊)
小沢一郎・自由党首が福岡市で講演 「日本だって核弾頭の4000発くらい持てる」(2002.04.07 毎日朝刊)
その気になれば核弾頭保有 小沢党首が中国けん制、日本「核武装」論に言及(2002.04.07 読売朝刊)
小沢党首 中国の軍事化牽制 「日本は一朝で核を保有」(2002.04.07 産経朝刊)



〜ここまで〜

 そして、靖國神社に関する発言。

 「第104回国会 地方行政委員会 第5号  昭和六十一年四月二日(水曜日) 」での国会答弁で、その時の小沢一郎である。(当時 自民党所属 国務大臣時代)

その時に小沢一郎氏はこう答弁している。

〜一部抜粋〜

○国務大臣(小沢一郎君) この問題(閣僚の靖国公式参拝問題)につきましては、靖国神社は一般的に常識的に言って戦没者を祭っておる、その追悼ということでだれもが自然な気持ちで行くべきものであろうと思います。したがって、私もいわゆる自分のそのような気持ちがわいてきたとき、そして時間が許せば靖国神社の参拝は今までもしておりましたし、するつもりであります。
 ただ、こういう問題、基本的には私は余り形式張って考えるのはよくないんではないかと思っております。したがって、今までも私は学校の生徒みたいにみんなで一緒にという参拝の仕方はしておりません。自分にそういう気持ちがわいて、そして機会があって参拝をしたことは何度もございます。したがいまして、それは大臣になってもその気持ちは変わりありません。

○国務大臣(小沢一郎君) 公式参拝というのは、いわゆる国務大臣の任にある者が参拝するというケースを言うのであろうと思います。ですから、私の考えは国務大臣であろうがなかろうが、現在はなっておりますが、今申し上げたような気持ちで今後も行いたいと思っております。

○国務大臣(小沢一郎君) 基本的に、お国のために一生懸命、その是非は別といたしまして戦ってそれで亡くなった方でありますから、そういう戦没者に、参拝することによって誠の気持ちをあらわす、また自分なりにそれを考えるということであろうと思います。したがいまして、A級(戦犯)であろうがB級(戦犯)であろうがC級(戦犯)であろうがそういう問題ではないだろうと思っております。たまたま敗戦ということによって戦勝国によって戦犯という形でなされた人もいる。あるいは責任の度合いによってABいろいろなランクをつけられたんでありましょうけれども、その責任論と私どもの素直な気持ちというのはこれは別個に分けて考えていいんではないだろうかというふうに思っております。



〜ここまで〜

 中川昭一氏の「核議論」発言よりも何倍もサプライズな発言ですね。この頃の小沢一郎氏と今の同氏は全く別人のようで気味が悪いです。なにをどうしたら現在のように主張が180度変わるんでしょうか、理解不能だ。

 「今までも私は学校の生徒みたいにみんなで一緒にという参拝の仕方はしておりません。」

 前から思っていたんですが、学校の授業や遠足でも良いですが是非とも靖國神社へのお参りを公教育のプログラムに入れるべきだと思う。

 全国の学校から靖國神社まで来るのは現実的に無理かもしれませんが、その代りに全国には「護国神社」が沢山ありますから、ぜひ授業の一環として参拝へ行って欲しいと思う。

 子供たちに「何故、参拝するのか!?」、「神々に手を合わせるという事はどういう事なのか!?」とか単に神社は初詣や夏祭りのようなイベントだけの為にあるのでは無いと、言う事を小さな内から教えるべきだと思います。

 平将門の乱で討たれた平将門も、東京の築土神社等で現在でも祀られているように、敵の将兵であっても、先人に対して尊崇と畏敬の念を持って祀るというのが、日本古来からの神道信仰文化であるという事を知っている世代は少なくなっていると感じます。

 そういう同じような意味で言えば、敵将ではありませんが大東亜戦争終了後に連合国側から一方的にいわゆるA級戦犯という汚名を着せられた東条英機氏らも、我々日本人古来からの神道信仰からすれば「大将殿は敗軍の将となってしまったが、その身滅びても日本国土と日本国民を災厄からお守りください。」と、畏敬の念も込めて祈る姿が本来の日本人たる姿ではないかと思います。

 神道には厳格な教義・教典というものが存在しない、ただただあらゆる万物に「八百万の神々」が宿っているという精神文化をいまだに受け継いでいる物であって、世間一般的に言われているような「宗教」ではないという事を、しっかり子供時代から大人が教えてあげなくてはならない。

 靖國神社は明治時代に生まれていわゆる「国家神道」と呼ばれていますが、「宗教法人」という枠組みに収まっていること自体が異常な状態だと私は思います。神道文化を「宗教」だとか「法人」などに分類するのではなく、我々日本人が代々受け継ぐべき「文化的遺産」として神道は存在するべきだと私は思うのです。

 その中でも靖國神社は日本の精神的支柱、文化遺産として国家護持をするべきだと思います。ですから天皇陛下はもちろんのこと、内閣総理大臣や各国務大臣は「公人?私人?」などと訳の分からない理屈をこねくり回してないで素直な気持ちで参拝に行くべきです。靖國神社へ参拝するという行為自体が公の気持ちの表れです。

 何だか話がずいぶん逸れてしまいましたが、私もずっと変わらず国務大臣時の小沢氏の気持ちのように、靖國神社や各地の護國神社へお参りし続けたいと思います。

 それがブログ名、「神の国へ…」の由来の一つでもあります。

 8月15日でも良いですし、都合が合わなければ別の日でも良いので靖國神社に行けなくても全国の護國神社へ参拝しましょう。
 
 参考リンク:全国の護國神社

<追記>

 昨日は、北京虐殺五輪NOデー!東京・大阪・京都同時国民大集会へ参加して来ました。

 私が参加した大阪は東京ほど人数はありませんでしたが、シュプレヒコールは確実に大阪府民の皆様に届いていたと実感しました。建物の中から沿道から賛意を表してくださる方も多数おられまして、胸が熱くなる思いを感じました。

 「真・保守市民の会」の会長、KNN TODAYの遠藤氏がいつも言っている事ですが、「市民」という言葉を我々保守陣営へ取り戻す必要があると改めて強く思いました。

 「何々市民の会」と聞くと、脊髄反射的に「サヨク市民」みたいだと感じる方もおられるでしょう。それはある意味仕方のない事だとは思いますが、そこで思考停止して立ち止まるのではなく我々保守は「市民」という言葉の意味を真っ当なものに変えて行きましょう。

 昨今の日本周辺状況は何も考えずに行動する勇気も必要な時期でもあります。ですがどうしても行動する前によくよく考え込んでしまいがちです。

 行動する事は、何もデモでシュプレヒコールをする事だけではありません。一言だけでも良いのでコメントで明確な意思表示をする事からすでに「考えながら行動」を開始している事になります。

 虐殺五輪は残念ながら始まってしまいましたが、その後に現れるであろう東アジア危機という眼前に立ちはだかる大きな試練に考え込むよりも、ここは大同小異で団結し、「考えながら行動」できる「真・保守市民の会」のネットワークを一緒に広げて行きましょう!

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☆はだしのゲン。

≪はだしのゲンをテレビで久々に見た≫

 はだしのゲンは私が小学生の時にクラスの本棚に並べて置いてあったので休み時間に一生懸命読んでいた記憶がある。

中沢啓治
(原作者:中沢啓治氏、読売新聞から)

 その内容は子供には非常にリアルでショッキングな絵ばかりだったので今でもは鮮明に蘇えってくる。しかし今回のドラマでは以外にも特高などが登場する原作と比べればいささか当時の国家体制に批判的な部分に関してソフトタッチになっている事に驚いた。原爆投下後の町のシーンもマンガの方がもっとリアルだった。原爆の被害映像の部分を除けば家族愛を描いたフィクションドラマといった感じに仕上がっている。

 しかし、小学生の時に見たときもショッキングであったが、今見てもショッキングな物に変わりは無い。

 そして、よくもまあ米国はこんな残虐非道な事をやらかしておいてシャアシャアと「原爆のお陰であの戦争は終わった、我々は正しかったんだ」などと言えるもんだなと、改めて怒りをあらわにせざるえない。

 罵詈雑言は基本的に使わないが、これこそまさしく「鬼畜米英」と呼んでも何の差支えもないでしょう。

 戦争の是非云々の論争はさておき、私が今回このドラマの映像だけを見て思った事は「果たしてこの中岡大吉という主人公ゲンの父上は今で言う所謂「左翼」と呼ばれるような反戦・護憲一辺倒な父親であったか?」と、言う事である。

 ドラマを何も考えずに思考停止して見れば、父親は「反戦・反戦」というあたかも平和主義者のように映ってしまう。が、しかしよくよく考えてみればこの父親は「家族を守る為なら自分の命を投げ出してまで守り、戦う父親なのではないか」と言う事である。好き好んで戦闘で殺戮をしたいなどと間違っても思わないが単なる反戦主義者ではないということではないか。

 このブログでも常日頃訴えている事と符合するのがこの部分である。

 「自分の国は自分で守れ、自分達の家族は自分達の手で守れ」

 私はゲンの父親はこのごく当たり前の事を訴え、実践しようとしていたに過ぎないのではないかと思うわけです。

 ゲンの父親が国際法の知識があったかどうかは定かではないですが、日本本土の民間居住区域に無差別爆撃や攻撃があると言う事は現時点で日本に本土防衛する余力も残っていない、「日本は戦争に負けている、いや負けるだろう」といち早く察知していたのではないか。それなのに我が国は根こそぎ自国民を戦闘へと狩り出している。これが国民を守る義務がある国家のやる事かと。

 ゲンの父親はそう思ったのでしょう。

 現在の価値観が入ってしまっているので正確に当時の方々の想いを汲み取る事は私には不可能です。しかし、少なくとも今は国民が国家を支え、国家は国民を守るという当然の義務を果たさなければならないのは自明のことです。

 しかし、私も私の家族・国家が殺されそうな時、もう殺されるしか道がないと分かれば災いをもたらす者に対して最後の渾身の一撃を食らわせて死にたい。

 だから特攻へ志願された英霊の方々を犬死だと蔑み、罵る者は断じて許しがたい。願いもしない戦場へ行かなければならなくなった英霊の皆様に毎年哀悼の意を表する事は我々後世に生きる日本人の責務なのではないかと思うのです。

 原爆は使用されれば通常の兵器よりも甚大な被害をもたらすまさしく大量破壊兵器です。しかも、我が日本の周りはそれを発射準備まで完了している国々、支那(中国)・ロシア・北朝鮮などに囲まれているのです。

 そして、精神的にも経済的に侵食が進んでいる。この部分は米国も含めなければならない。

 紙切れ一枚の憲法9条と、非核三原則でどのように国を守っていけるのか。「核の無力化」と訴える者が居るが、果たしてどのようなプロセスを通じてそれを達成しようと画策しているのか。

 戦場で散って行かれた英霊も、ゲンの父親も己の国と家族を守るという気持ちに変わりは無かったはずです。(原作者は私と全く違う思想と意図を持って描かれていますが、本エントリーは敢えて自分なりに解釈をしてみた。)

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☆原爆投下はしょうがなくない

核議論の前に改めて肝に銘じておかなければならない事がある≫

 (※以前UPしたエントリーの再掲です。)

原爆投下 持つか持たないか、どうするか議論する前に最低限抑えておかなければならないことがあります。

 それは、『を持つには、持ったら、そして使用すればどのような事態になるのか』という事です。

 これはを実際に実用できる段階まで持っていくのに、日本は核実験自体を何処で行うのかなど問題も出てくるわけです。核実験による、自然や人体への影響も考えなければならない。そして一体何処で保管するのか。保管場所の防衛強化も必要になる。

 ただ単に相手が持ったからこちらも持たなくてはならないと言う端的な論法に関しては、ここは日本であり北朝鮮ではないのでまずありえない。

 そして実際に使用すればどうゆう事になるのか。

 これ以下のリンク先は非常に刺激の強い画像が有りますので、心して、注意してご覧ください。(心臓の弱い方はご遠慮ください。)

 原爆被害の記録

 広島原爆写真館

 1945年8月6日午前8時15分に、米軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」により、原子爆弾「リトルボーイ」が広島に投下された。これにより、一瞬のうちに約14万人が死亡し、市街はほぼ壊滅状態となった。 その後の被爆死亡者を含めると推定30万人もの死者を出した。

 この歴史的悲劇から目をそむけないために、犠牲者の霊を慰め、世界平和を祈るために、毎年広島市では原爆慰霊祭が行われている。

 今年もやはり黙祷を捧げた。亡くなった人数自体は第二次世界大戦全体から見れば多くはないのだろうが・・・やはり今年も広島に向かって黙祷していた。

 原爆爆発の熱線による表皮が炭化するほどの重度の火傷を負った者、熱線による建物火災などの二次災害での焼死、爆風によって飛散した金属やガラス片等での重傷、爆風によって吹き飛ばされ建物に打ち付けられて死亡、体への強い衝撃により眼球や内臓が体外に飛び出すといった状態のものもいた。そして二次被爆、放射線症、胎内被曝、精神的影響など長期に渡って苦しめる原因となった。

 いろいろ考えるのだがやはり何年経っても「日本に降伏を促すために投下した」と言うのは受け入れがたい愚見である。

 広島に居た人たちを目的達成のために(原爆威力実験、日本の戦争降伏など)殺して日本政府に要求を受け入れさせる。

 家族を人質に取った凶悪犯と同じではないか、目的が達成されるまで人質を殺し続ける大量虐殺にほかならない。当時の米国によるただの殺人行為である。

 しかし、その米国に至っても第二次世界大戦以降は一度も使っていないし、核兵器を持っている国に対しては戦争すら仕掛けていない現状がある。

 果たして、日本は実際使えるのか?

 その答えは限りなく『使えない』に近いだろう。

 当時米国が原爆投下した本当の狙いはなんだったのか?誰が仕組んだのか?その答えの一部が下記のサイトでUPされております。

 「原爆ホロコースト」の実態

 この世界歴史の真実は未だに語るのもタブーとされている者に支配されている事を頭の片隅に記憶して頂きたい。我々日本もその輩どもの手のひらで踊らされている一部の人種に過ぎないのかもしれない。

 これは今回核実験を行った北朝鮮や、米国、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ等の各国も然りである。

 私は核議論の話をする上で実際に被害に遭われたか方々のことをまず最初に思い浮かべるようにしています。これが日本人自身の核に対する認識の原点であると思います。そして自己暴走を止める自己抑止力となると考えています。 非常に重要な事です。これを抜きに云々は語るべきではないと思います。バランス感覚が重要だと思うのです。

原爆で亡くなられたすべての被害者の方々へ黙祷。
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★日本は核を使えない!?

≪今回の核議論について≫

中川昭一氏の『核議論』について多くのコメント頂きましてありがとう御座いました。

今回のエントリーとご意見をまとめまして中川昭一氏や官邸、関係省庁へメールなどで提出したいと思います。

これがキッカケになり更に国防に関して国民皆さんの中で議論が活性化されていけば、当ブログ他、多くの保守系ブログの存在価値、意義があったと言えると思います。


≪核議論の前に改めて肝に銘じておかなければならない事がある≫

持つか持たないか、どうするか議論する前に最低限抑えておかなければならないことがあります。

それは、『核を持つには、持ったら、そして使用すればどのような事態になるのか』という事です。

これは核を実際に実用できる段階まで持っていくのに、日本は核実験自体を何処で行うのかなど問題も出てくるわけです。
核実験による、自然や人体への影響も考えなければならない。

そして一体何処で保管するのか。保管場所の防衛強化も必要になる。

ただ単に相手が持ったからこちらも持たなくてはならないと言う端的な論法に関しては、ここは日本であり北朝鮮ではないのでまずありえない。


そして実際に使用すればどうゆう事になるのか。

これ以下のリンク先は非常に刺激の強い画像が有りますので、心して、注意してご覧ください。(心臓の弱い方はご遠慮ください。)

原爆被害の記録

広島原爆写真館


1945年8月6日午前8時15分に、米軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」により、原子爆弾「リトルボーイ」が広島に投下された。これにより、一瞬のうちに約14万人が死亡し、市街はほぼ壊滅状態となった。 その後の被爆死亡者を含めると推定30万人もの死者を出した。

この歴史的悲劇から目をそむけないために、犠牲者の霊を慰め、世界平和を祈るために、毎年広島市では原爆慰霊祭が行われている。

今年もやはり黙祷を捧げた。亡くなった人数自体は第二次世界大戦全体から見れば多くはないのだろうが・・・やはり今年も広島に向かって黙祷していた。

原爆爆発の熱線による表皮が炭化するほどの重度の火傷を負った者、熱戦による建物火災などの二次災害での焼死、爆風によって飛散した金属やガラス片等での重傷、爆風によって吹き飛ばされ建物に打ち付けられて死亡、体への強い衝撃により眼球や内臓が体外に飛び出すといった状態のものもいた。

そして二次被爆、放射線症、胎内被曝、精神的影響など長期に渡って苦しめる原因となった。

いろいろ考えるのだがやはり何年経っても「日本に降伏を促すために投下した」と言うのは受け入れがたい愚見である。

広島に居た人たちを目的達成のために(原爆威力実験、日本の戦争降伏など)殺して日本政府に要求を受け入れさせる。

家族を人質に取った凶悪犯と同じではないか、目的が達成されるまで人質を殺し続ける大量虐殺にほかならない。当時の米国によるただの殺人行為である。


しかし、その米国に至っても第二次世界大戦以降は一度も使っていないし、核兵器を持っている国に対しては戦争すら仕掛けていない現状がある。

果たして、日本は実際使えるのか?

その答えは限りなく『使えない』に近いだろう。

当時米国が原爆投下した本当の狙いはなんだったのか?誰が仕組んだのか?

その答えの一部が下記のサイトでUPされております。

「原爆ホロコースト」の実態


この世界歴史の真実は未だに語るのもタブーとされている者に支配されている事を頭の片隅に記憶して頂きたい。
我々日本もその輩どもの手のひらで踊らされている一部の人種に過ぎないのかもしれない。
これは今回核実験を行った北朝鮮や、米国、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ等の各国も然りである。



かの者達の資本に頼らない、日本独自の新型兵器を開発しなければならないのではないか!?それについてはまた新たにエントリー立てたいと思います。



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*前エントリーからの管理人コメント転載追記:2006/10/18

≪管理人あとがき≫

私は核議論の話をする上で実際に被害に遭われたか方々のことをまず最初に思い浮かべるようにしています。
これが日本人自身の核に対する認識の原点であると思います。そして自己暴走を止める自己抑止力となると考えています。

非常に重要な事です。これを抜きに核云々は語るべきではないと思います。バランス感覚が重要だと思うのです。

そういう意味で最新のエントリーで核の被害についてあえて触れてみました。



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