≪石原慎太郎氏は東京を、いや日本の後継者を≫
選挙というものは常に『消去法』による選択でしかない。己と同じ考え、思想であるという者が候補者になった事は今だかつて一度たりともない。だから苦渋の決断ばかりである。
オールをこぎ続けるのは非常に重労働であり、苦しいものである。
選挙に行かぬのは船のオールを持つ権利を捨てたに等しいと思わねばならない。
選挙に行かぬのは国家の行く末には何一つ文句を言わず従うという最強の『国家従順主義者』である。
選挙に行かない事は国家のルールに従わない事の意思表示にはならない。
国家の一国民として行き先切符を買い求める事が出来るのは、オールをしっかり握っている人間だけである。
「何を見直すのか具体的に言ってもらいたい」
これが一番重要なポイントのひとつでもある。対案なき批判は烏合の衆と化した野党そのものである。都政をまがいなりにも2期引っ張ってきた石原慎太郎氏に具体的な批判を展開出来た候補者や、マスメディアの人間が果たして居ただろうか。
石原都政に代わる素晴らしい対案を持っている政治家が存在すれば、石原慎太郎氏を引きずり下ろしたいマスメディアや、フェミナチにとってその政治家は願っても無い広告塔になったに違いない。
石原慎太郎嫌いな方々よ、この選挙結果になったのはスキャンダルで叩き切れなかったマスメディアが悪いのか?”石原”というネームバリューに踊らされている都民が悪いのか?石原氏を支持する経済界や、政界からの後押しがあったからか?
石原慎太郎氏の言うように「都民の良識」によるものなのか?
それも私からすれば少し違う。石原慎太郎氏以上に「投票したい」と思った都民が少なかったから、ただそれだけだろう。
「どうせ石原慎太郎より良い候補者が居たとしても、テレビやマスコミで取り上げられなかったら知名度も上がらず、当選など出来ないではないか。」、と言う方はマスコミは阿呆な集団と言う事で決定し、明日から政治ネタの番組を見るのを止め、そしてしっかり「テレビには映らないが石原慎太郎よりも素晴らしい候補者が居る」と家族友人知人ご近所へ流布して回る事だ。
それも一人ずつオールを握っている我々の権利の一つでもある。私のように自分の意見を一方的にネットで公表することも手段の一つだろう。
何もしない、建設的な対案の無い批判の中に国家の10年先すら見えて来るはずも無い。かの宗教団体はそうした手法等も含め、絶え間なく活動を行ってきた為に今政権の一部を担う政党へとなってしまっているのである。合わせて国民の政治への関心の低さがそうさせてしまった原因の一つでもあるだろう。
メディアによって祭り上げられた偶像崇拝的な候補者に惑わされず見極め、国民一人一人がメディアリテラシーをしっかり持つべきである。
石原慎太郎氏も74歳と高齢である。であるから、石原慎太郎氏自身や都民自身も石原慎太郎氏よりも上回る後継者の発掘がもう必要な時期に来ているのではないか。
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選挙というものは常に『消去法』による選択でしかない。己と同じ考え、思想であるという者が候補者になった事は今だかつて一度たりともない。だから苦渋の決断ばかりである。
オールをこぎ続けるのは非常に重労働であり、苦しいものである。
選挙に行かぬのは船のオールを持つ権利を捨てたに等しいと思わねばならない。
選挙に行かぬのは国家の行く末には何一つ文句を言わず従うという最強の『国家従順主義者』である。
選挙に行かない事は国家のルールに従わない事の意思表示にはならない。
国家の一国民として行き先切符を買い求める事が出来るのは、オールをしっかり握っている人間だけである。
“慎太郎節”全開、逆風・都知事選に当選決め石原氏
「いろいろありましたが、都民の良識がこういう結果をもたらしてくれた」
石原さんは、当選が確実になった後の第一声で、選挙戦で対立候補から総攻撃を受けたうっぷんを晴らすかのように切り出した。
港区新橋の選挙事務所に姿を見せたのは、300万票を集めて再選された前回よりも1時間近くも早い午後8時35分過ぎ。四男を都の文化事業に関与させていたことや、高額な海外出張旅費支出などを批判され、初めて逆風で迎えた選挙戦。だが、早々と当選確実を決めて臨んだ記者会見で、次第にボルテージが上がっていった。
「執拗(しつよう)なバッシングがあって不本意だった。都議会や都職員と重ねてきた実績が都民の認識を支えてくれた」。有権者に感謝を示しながらも、選挙戦を通じてたびたび口にしてきた反省の言葉はそこそこに、“慎太郎節”を全開にした。
有力な対立候補がすべて中止を主張した2016年の夏季五輪招致については、自ら体験した1964年の東京五輪を引き合いに出し、「そういう感動を、アウエーじゃなしにホーム(日本)で味わって欲しいから」と理解を求めた。
都の財政負担を上回る経済効果があることも強調したが、「お金で換算できない心の財産になる。皆さん一緒にやろうじゃないですか。大きな夢を見てね」と、ひときわ大きな声で語りかけた。
ただ、報道各社の世論調査で五輪招致計画の見直す声が多いことを指摘されると、厳しい表情になり、「何を見直すのか具体的に言ってもらいたい」と報道陣に逆質問する場面も。
(一部省略)
(2007年4月9日0時20分 読売新聞)
「何を見直すのか具体的に言ってもらいたい」
これが一番重要なポイントのひとつでもある。対案なき批判は烏合の衆と化した野党そのものである。都政をまがいなりにも2期引っ張ってきた石原慎太郎氏に具体的な批判を展開出来た候補者や、マスメディアの人間が果たして居ただろうか。
石原都政に代わる素晴らしい対案を持っている政治家が存在すれば、石原慎太郎氏を引きずり下ろしたいマスメディアや、フェミナチにとってその政治家は願っても無い広告塔になったに違いない。
石原慎太郎嫌いな方々よ、この選挙結果になったのはスキャンダルで叩き切れなかったマスメディアが悪いのか?”石原”というネームバリューに踊らされている都民が悪いのか?石原氏を支持する経済界や、政界からの後押しがあったからか?
石原慎太郎氏の言うように「都民の良識」によるものなのか?
それも私からすれば少し違う。石原慎太郎氏以上に「投票したい」と思った都民が少なかったから、ただそれだけだろう。
「どうせ石原慎太郎より良い候補者が居たとしても、テレビやマスコミで取り上げられなかったら知名度も上がらず、当選など出来ないではないか。」、と言う方はマスコミは阿呆な集団と言う事で決定し、明日から政治ネタの番組を見るのを止め、そしてしっかり「テレビには映らないが石原慎太郎よりも素晴らしい候補者が居る」と家族友人知人ご近所へ流布して回る事だ。
それも一人ずつオールを握っている我々の権利の一つでもある。私のように自分の意見を一方的にネットで公表することも手段の一つだろう。
何もしない、建設的な対案の無い批判の中に国家の10年先すら見えて来るはずも無い。かの宗教団体はそうした手法等も含め、絶え間なく活動を行ってきた為に今政権の一部を担う政党へとなってしまっているのである。合わせて国民の政治への関心の低さがそうさせてしまった原因の一つでもあるだろう。
メディアによって祭り上げられた偶像崇拝的な候補者に惑わされず見極め、国民一人一人がメディアリテラシーをしっかり持つべきである。
石原慎太郎氏も74歳と高齢である。であるから、石原慎太郎氏自身や都民自身も石原慎太郎氏よりも上回る後継者の発掘がもう必要な時期に来ているのではないか。
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