≪最近近況・雑感・・・管理人≫
ちょっと最近ライブの準備や音源の準備やなんやかんやで投稿が疎かになっているのをこの場を借りて言い訳します。(笑)
エントリーせにゃイカン、みんなに知らせなきゃイカン題目がドッサリあります。
米国、支那(中国)、アフリカ、そして我が日本、内部の憂鬱。
昨日も就寝午前5時。。。記事まとめる時間が無いぞ〜。。。
小生は素人の癖に玄人ぶって、単に新聞の記事ペタッって貼って『自分の言葉』を語っていない物をブログにエントリーするのイヤなんでなおさら時間がかかります。
(ロシアに寝なくても生きていけるおっちゃんがいるらしいけど、羨ましい限りである。)
******************************
≪北朝鮮に全く興味は無い。≫(傍観者的立場に立てば結構面白い事もある。)
日本人を拉致して行った北朝鮮に怒りを覚える。
北朝鮮の政府に洗脳されている人民に対しては幾らかの同情を感じなくもない。
しかし、『自爆・自滅する前に日本人を返しやがれ!!』ただそれだけである。
仕事や知人、友人で半島の人間と関わりを持っている人も居るだろう。
それはそれで己の人生で生きるためにその方に必要な事なのだろう、特に『なんで朝鮮半島人と関わっているんだ!?』なんて馬鹿げた事を聞く必要もナシ。
しかし、『日本人としての誇りを常に確認する事を怠るべからず。』ただそれだけである。
私も実際前の仕事で半島とはやり取りがあった。ハングル文字も少し覚えたが今ではもうすべて忘れてしまった。ハングル文字は日韓併合時の朝鮮総督府が積極的に朝鮮人に対して教育していた歴史がある事もその後に知る事になる。
******************************
≪日本人は実直過ぎるのか?≫
『日本人は実直過ぎるんだよ』と、最近は特にそう思う事が多い。
それが良い所でもあり、欠点になってしまう時もある。でも、これは失いたくない『DNA』だと私は思う。
なぜそう思うかは『そう思うDNA』だから説明のしようが無いな〜。
(意味不明??↑)
あるキーワードで検索し、調べていたら久々に興味深いものがあったのでUP。
ああ、そう言えばそんな事もあったな、という感じのものです。
勘の良い人は私が何で検索していたかわかると思います。これはこれからの内政に関して非常に重要な事柄です。
≪戦争が終り、日本は平和な国になったので、投降してくるように≫
(基本的に2chからの引用はあまりしないようにしてますが、この方がわかりやすいかなと思いましたので。)
小野田寛朗 少尉
〜全文引用ココから〜
小野田寛朗 少尉軍の命令を守り30年もの間、フィリピンはルバング島のジャングルの中で世界を相手にたった一人になっても戦い続けた小野田さん。 小野田さんは戦争が終わってからの30年間、逃げ回ったり、さ迷ったり、遭難していた訳ではなく、戦い続けていた。毎日、島内の元日本軍の占領地区領域を守るべく、パトロールし続けていた。
小野田さんが隠れていたと思っている人が多いが、大きな間違えだ!
実は小野田さんは、日本が戦争に負け、アメリカ軍に占領された事はとっくに知っていた。小野田さんは当時、国際短波ラジオ放送を傍受したり、英字新聞、中国語新聞などを拾い、終戦の事も、日本がアメリカに占領された事も承知していた。 なのに小野田さんは日本に帰ってこなかった。諜報員として、
「潔く死んだりするな! 最後の1人になってもゲリラ化して戦い続けろ!」
たったこのひとことの命令が小野田さんを30年間戦わせる事になってしまった。一人になっても小野田さんは、占領された日本を奪還するつもりで戦っていた。
凄すぎる!!!!
「戦争が終り、日本は平和な国になったので、投降してくるように」と飛行機がアナウンスして回っても、陸軍中野学校で諜報員(スパイ)教育を受けた氏は、呼びかけは全てアメリカ軍の陽動作戦として聞き入れなかった。
よく、30年ぶりに小野田さんを保護した。 なんていう記事があるが、とんでもない。保護じゃなくて、30年間しっかり任務を遂行していたんだから。小野田さんは実際にルバング島から帰国するにあたっても、「自分は任務遂行の為、この島で戦っている。 例え、本当に終戦だといっても、上官の任務解除命令があるまではここを離れるわけにはいかない。」
戦争当時30年前の自分の指揮官が迎えに来て戦闘命令を解除するまで頑として帰ってこなかった。まさにランボー状態。
30年後に発見された時、氏の鉄砲は錆びる事もなくピカピカで、銃弾も湿気ることなく使える戦闘態勢状態にあったという。なんと、銃弾から火薬を取り出し、天日干しして乾燥させそれを30年間繰り返し続けたそうです。日時も自分でカレンダーを作り、なんと30年間で誤差がたった6日しかなかった。
30年と一言に言えない気の遠くなる年月です。
〜ココまで〜
戦争が終わったから投降してこいか、、、っていうかある意味まだ戦争継続中だし、また状況は著しく悪くなっている。
今の北朝鮮を先の大戦の日本に例えるバカサヨクがたまに見かけるが皆さんもブログ巡回中に見かけたら『ふざけるんじゃ無い、土井たか子や田中真紀子を北へ強制送還してやるから横田めぐみさんや日本人を返せ!!』などとブッタ切ってやってくださいな。
大東亜戦争を支持していたのは右派だけでなく当時の戦闘的左翼も同類項ですし。
小野田さんのような諜報活動が一番大事な時期にまたなってきているのは間違いナシでしょう。
大東亜戦争で日本が負けた原因の一つとしては『情報戦』に負けた事が大きな要因の一つだと言う評論かも多い。たしか「よしりん」もそうでしたっけ!?頭が回らんです。
国連や国際外交で今日本は積極的にロビー活動やってますね、よい事です。
これも麻生太郎氏が頑張って『官僚を引っ張って行ってる』リーダーシップの賜物だと頼もしく思っています。AAコンビ頑張れ。
小野田寛朗さんはじめ戦友の皆様、私は頭が下がる思いです。私は貴方に比べたらなんてひ弱な精神弱小日本人なんでしょうか。皆様に対してウンチク云々語る資格は私にはありません。
小野田さんのその後の生き様も、日本人としての誇りであります。
小野田寛郎(1922-)
〜一部引用ココから〜
帰国後政府はせめてもの慰労金として100万円を渡そうとしますが、誇り高き
小野田は拒否。どうしてもというので、彼はこれを靖国神社に寄付してしま
います。そして天皇や首相との会見を断り、真っ先に戦闘で亡くなった部下、
島田と小塚の墓参りに行きました。彼は義理を通す人でした。
そして1年後彼はブラジルにわたり、牧場経営を手がけます。そしてそれを
成功させ、大牧場主となってから再び日本に戻り、現在は「小野田自然塾」
を主催して、子供たちにアウトドア生活の指導をしています。
ごく普通の人として、大きな運命の歯車に翻弄され、流されてしまった横井
と違い、小野田は厳しい運命の濁流の中、自分の生き方を常に模索し、常に
困難と闘い続けています。ですから小野田にとってはジャングルの中での30
年というのも無意味な時間ではなかったのです。
どちらの生き方が良いのか、私にはとても論評できません。
〜ココまで〜
>どちらの生き方が良いのか、私にはとても論評できません。
仰る通りで御座います、私も同じく軽々しく論評など出来るわけがありません。
小野田寛郎〜ウィキペより〜参考までに。
小野田さんは靖国についてこんな事も仰っておられます。
『私は15年間、靖国神社に祀られていた身分です。そのままだったら今の
日本の姿を知る由もなかった。
国が靖国を護持しないというのなら、それは私たちに対する借金を返さず、
未納のままだということです。
戦争で死んだ人は若い人が多かった。肉親が元気な内は手厚く祀ってもら
えるが、肉親がいなくなったあとに祀られる場所は靖国しかないのです。』
やはり、靖国は国家で厳重に厳格に護持せにゃならんのやろな〜と少し考えました。
そうなると今まで私が述べてきた事も少し軌道修正しないと駄目かもです。。。
*******************************
≪国立の追悼と平和祈念の施設”建立の是非を考える会、会長 山崎 拓氏≫
それを知ってか知らずかどっちでもいいんですが、こういう事平気で語る輩はこれからも徹底的に叩きますよ。
小泉政権総仕上げの課題
<<外交>>中国訪問報告:緊張した日中関係の解決に向けて
そして取って付けて当たり前のように取り上げる扇動・洗脳専門新聞、それが朝日新聞クオリティ。(なんかどっかで聞いた事ある言い回しだな。。。)
「臨検に加担、北朝鮮暴発の可能性」山崎拓氏が慎重論
いつも巡回している政治ブログ系のゴーリキーさんが山拓を取り上げていらっしゃいます。GJです!。
熱湯欲ゴーリキーのお部屋〜『真っ向否定の山崎拓』〜
(仮称)”小野田さんや、亡くなられた英霊の方々の心情を踏みにじる権利が果たして己にあるかどうか考える会”の会長をやってから正論で靖国批判してみたらどうだ、山崎拓氏よ??
君等の考えている事は日本国民の国益じゃなくて特ア三国に対する国益を考えていると素直に言えば良いじゃないか!?
いつまで日本人の良心を利用して政局にのさばっているつもりなのだ!!
いつまでも『日本人としての誇りと気概』を忘れない!!特ア三国に媚びへつらう政治家は国民の投票権で持って淘汰する!!という有志の方は応援クリックを!!⇒人気blogランキングへ
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ちょっと最近ライブの準備や音源の準備やなんやかんやで投稿が疎かになっているのをこの場を借りて言い訳します。(笑)
エントリーせにゃイカン、みんなに知らせなきゃイカン題目がドッサリあります。
米国、支那(中国)、アフリカ、そして我が日本、内部の憂鬱。
昨日も就寝午前5時。。。記事まとめる時間が無いぞ〜。。。
小生は素人の癖に玄人ぶって、単に新聞の記事ペタッって貼って『自分の言葉』を語っていない物をブログにエントリーするのイヤなんでなおさら時間がかかります。
(ロシアに寝なくても生きていけるおっちゃんがいるらしいけど、羨ましい限りである。)
******************************
≪北朝鮮に全く興味は無い。≫(傍観者的立場に立てば結構面白い事もある。)
日本人を拉致して行った北朝鮮に怒りを覚える。
北朝鮮の政府に洗脳されている人民に対しては幾らかの同情を感じなくもない。
しかし、『自爆・自滅する前に日本人を返しやがれ!!』ただそれだけである。
仕事や知人、友人で半島の人間と関わりを持っている人も居るだろう。
それはそれで己の人生で生きるためにその方に必要な事なのだろう、特に『なんで朝鮮半島人と関わっているんだ!?』なんて馬鹿げた事を聞く必要もナシ。
しかし、『日本人としての誇りを常に確認する事を怠るべからず。』ただそれだけである。
私も実際前の仕事で半島とはやり取りがあった。ハングル文字も少し覚えたが今ではもうすべて忘れてしまった。ハングル文字は日韓併合時の朝鮮総督府が積極的に朝鮮人に対して教育していた歴史がある事もその後に知る事になる。
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≪日本人は実直過ぎるのか?≫
『日本人は実直過ぎるんだよ』と、最近は特にそう思う事が多い。
それが良い所でもあり、欠点になってしまう時もある。でも、これは失いたくない『DNA』だと私は思う。
なぜそう思うかは『そう思うDNA』だから説明のしようが無いな〜。
(意味不明??↑)
あるキーワードで検索し、調べていたら久々に興味深いものがあったのでUP。
ああ、そう言えばそんな事もあったな、という感じのものです。
勘の良い人は私が何で検索していたかわかると思います。これはこれからの内政に関して非常に重要な事柄です。
≪戦争が終り、日本は平和な国になったので、投降してくるように≫
(基本的に2chからの引用はあまりしないようにしてますが、この方がわかりやすいかなと思いましたので。)
小野田寛朗 少尉
〜全文引用ココから〜
小野田寛朗 少尉軍の命令を守り30年もの間、フィリピンはルバング島のジャングルの中で世界を相手にたった一人になっても戦い続けた小野田さん。 小野田さんは戦争が終わってからの30年間、逃げ回ったり、さ迷ったり、遭難していた訳ではなく、戦い続けていた。毎日、島内の元日本軍の占領地区領域を守るべく、パトロールし続けていた。
小野田さんが隠れていたと思っている人が多いが、大きな間違えだ!
実は小野田さんは、日本が戦争に負け、アメリカ軍に占領された事はとっくに知っていた。小野田さんは当時、国際短波ラジオ放送を傍受したり、英字新聞、中国語新聞などを拾い、終戦の事も、日本がアメリカに占領された事も承知していた。 なのに小野田さんは日本に帰ってこなかった。諜報員として、
「潔く死んだりするな! 最後の1人になってもゲリラ化して戦い続けろ!」
たったこのひとことの命令が小野田さんを30年間戦わせる事になってしまった。一人になっても小野田さんは、占領された日本を奪還するつもりで戦っていた。
凄すぎる!!!!
「戦争が終り、日本は平和な国になったので、投降してくるように」と飛行機がアナウンスして回っても、陸軍中野学校で諜報員(スパイ)教育を受けた氏は、呼びかけは全てアメリカ軍の陽動作戦として聞き入れなかった。
よく、30年ぶりに小野田さんを保護した。 なんていう記事があるが、とんでもない。保護じゃなくて、30年間しっかり任務を遂行していたんだから。小野田さんは実際にルバング島から帰国するにあたっても、「自分は任務遂行の為、この島で戦っている。 例え、本当に終戦だといっても、上官の任務解除命令があるまではここを離れるわけにはいかない。」
戦争当時30年前の自分の指揮官が迎えに来て戦闘命令を解除するまで頑として帰ってこなかった。まさにランボー状態。
30年後に発見された時、氏の鉄砲は錆びる事もなくピカピカで、銃弾も湿気ることなく使える戦闘態勢状態にあったという。なんと、銃弾から火薬を取り出し、天日干しして乾燥させそれを30年間繰り返し続けたそうです。日時も自分でカレンダーを作り、なんと30年間で誤差がたった6日しかなかった。
30年と一言に言えない気の遠くなる年月です。
〜ココまで〜
戦争が終わったから投降してこいか、、、っていうかある意味まだ戦争継続中だし、また状況は著しく悪くなっている。
今の北朝鮮を先の大戦の日本に例えるバカサヨクがたまに見かけるが皆さんもブログ巡回中に見かけたら『ふざけるんじゃ無い、土井たか子や田中真紀子を北へ強制送還してやるから横田めぐみさんや日本人を返せ!!』などとブッタ切ってやってくださいな。
大東亜戦争を支持していたのは右派だけでなく当時の戦闘的左翼も同類項ですし。
小野田さんのような諜報活動が一番大事な時期にまたなってきているのは間違いナシでしょう。
大東亜戦争で日本が負けた原因の一つとしては『情報戦』に負けた事が大きな要因の一つだと言う評論かも多い。たしか「よしりん」もそうでしたっけ!?頭が回らんです。
国連や国際外交で今日本は積極的にロビー活動やってますね、よい事です。
これも麻生太郎氏が頑張って『官僚を引っ張って行ってる』リーダーシップの賜物だと頼もしく思っています。AAコンビ頑張れ。
小野田寛朗さんはじめ戦友の皆様、私は頭が下がる思いです。私は貴方に比べたらなんてひ弱な精神弱小日本人なんでしょうか。皆様に対してウンチク云々語る資格は私にはありません。
小野田さんのその後の生き様も、日本人としての誇りであります。
小野田寛郎(1922-)
〜一部引用ココから〜
帰国後政府はせめてもの慰労金として100万円を渡そうとしますが、誇り高き
小野田は拒否。どうしてもというので、彼はこれを靖国神社に寄付してしま
います。そして天皇や首相との会見を断り、真っ先に戦闘で亡くなった部下、
島田と小塚の墓参りに行きました。彼は義理を通す人でした。
そして1年後彼はブラジルにわたり、牧場経営を手がけます。そしてそれを
成功させ、大牧場主となってから再び日本に戻り、現在は「小野田自然塾」
を主催して、子供たちにアウトドア生活の指導をしています。
ごく普通の人として、大きな運命の歯車に翻弄され、流されてしまった横井
と違い、小野田は厳しい運命の濁流の中、自分の生き方を常に模索し、常に
困難と闘い続けています。ですから小野田にとってはジャングルの中での30
年というのも無意味な時間ではなかったのです。
どちらの生き方が良いのか、私にはとても論評できません。
〜ココまで〜
>どちらの生き方が良いのか、私にはとても論評できません。
仰る通りで御座います、私も同じく軽々しく論評など出来るわけがありません。
小野田寛郎〜ウィキペより〜参考までに。
小野田さんは靖国についてこんな事も仰っておられます。
『私は15年間、靖国神社に祀られていた身分です。そのままだったら今の
日本の姿を知る由もなかった。
国が靖国を護持しないというのなら、それは私たちに対する借金を返さず、
未納のままだということです。
戦争で死んだ人は若い人が多かった。肉親が元気な内は手厚く祀ってもら
えるが、肉親がいなくなったあとに祀られる場所は靖国しかないのです。』
やはり、靖国は国家で厳重に厳格に護持せにゃならんのやろな〜と少し考えました。
そうなると今まで私が述べてきた事も少し軌道修正しないと駄目かもです。。。
*******************************
≪国立の追悼と平和祈念の施設”建立の是非を考える会、会長 山崎 拓氏≫
それを知ってか知らずかどっちでもいいんですが、こういう事平気で語る輩はこれからも徹底的に叩きますよ。
小泉政権総仕上げの課題
<<外交>>中国訪問報告:緊張した日中関係の解決に向けて
そして取って付けて当たり前のように取り上げる扇動・洗脳専門新聞、それが朝日新聞クオリティ。(なんかどっかで聞いた事ある言い回しだな。。。)
「臨検に加担、北朝鮮暴発の可能性」山崎拓氏が慎重論
いつも巡回している政治ブログ系のゴーリキーさんが山拓を取り上げていらっしゃいます。GJです!。
熱湯欲ゴーリキーのお部屋〜『真っ向否定の山崎拓』〜
(仮称)”小野田さんや、亡くなられた英霊の方々の心情を踏みにじる権利が果たして己にあるかどうか考える会”の会長をやってから正論で靖国批判してみたらどうだ、山崎拓氏よ??
君等の考えている事は日本国民の国益じゃなくて特ア三国に対する国益を考えていると素直に言えば良いじゃないか!?
いつまで日本人の良心を利用して政局にのさばっているつもりなのだ!!
いつまでも『日本人としての誇りと気概』を忘れない!!特ア三国に媚びへつらう政治家は国民の投票権で持って淘汰する!!という有志の方は応援クリックを!!⇒人気blogランキングへ
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