神々の國へ…

祖國日本は、至誠を貫き、率先垂範して國家を經綸し、國體を護持して、その傳統による叡知と努力を世界に捧げて萬葉一統の理想世界を實現すべき責務がある。(『國體護持』 第六章 萬葉一統より)コメントは神々の國へ・・・(FC2版)へお願いします。


石原 慎太郎

☆石原慎太郎氏、都知事へ再当選。

石原慎太郎氏は東京を、いや日本の後継者を≫

 選挙というものは常に『消去法』による選択でしかない。己と同じ考え、思想であるという者が候補者になった事は今だかつて一度たりともない。だから苦渋の決断ばかりである。

 オールをこぎ続けるのは非常に重労働であり、苦しいものである。

 選挙に行かぬのは船のオールを持つ権利を捨てたに等しいと思わねばならない。

 選挙に行かぬのは国家の行く末には何一つ文句を言わず従うという最強の『国家従順主義者』である。

 選挙に行かない事は国家のルールに従わない事の意思表示にはならない。

 国家の一国民として行き先切符を買い求める事が出来るのは、オールをしっかり握っている人間だけである。

“慎太郎節”全開、逆風・都知事選に当選決め石原氏
 「いろいろありましたが、都民の良識がこういう結果をもたらしてくれた」

 石原さんは、当選が確実になった後の第一声で、選挙戦で対立候補から総攻撃を受けたうっぷんを晴らすかのように切り出した。

 港区新橋の選挙事務所に姿を見せたのは、300万票を集めて再選された前回よりも1時間近くも早い午後8時35分過ぎ。四男を都の文化事業に関与させていたことや、高額な海外出張旅費支出などを批判され、初めて逆風で迎えた選挙戦。だが、早々と当選確実を決めて臨んだ記者会見で、次第にボルテージが上がっていった。

 「執拗(しつよう)なバッシングがあって不本意だった。都議会や都職員と重ねてきた実績が都民の認識を支えてくれた」。有権者に感謝を示しながらも、選挙戦を通じてたびたび口にしてきた反省の言葉はそこそこに、“慎太郎節”を全開にした。

 有力な対立候補がすべて中止を主張した2016年の夏季五輪招致については、自ら体験した1964年の東京五輪を引き合いに出し、「そういう感動を、アウエーじゃなしにホーム(日本)で味わって欲しいから」と理解を求めた。

 都の財政負担を上回る経済効果があることも強調したが、「お金で換算できない心の財産になる。皆さん一緒にやろうじゃないですか。大きな夢を見てね」と、ひときわ大きな声で語りかけた。

 ただ、報道各社の世論調査で五輪招致計画の見直す声が多いことを指摘されると、厳しい表情になり、「何を見直すのか具体的に言ってもらいたい」と報道陣に逆質問する場面も。

(一部省略)

(2007年4月9日0時20分 読売新聞)


 「何を見直すのか具体的に言ってもらいたい」

 これが一番重要なポイントのひとつでもある。対案なき批判は烏合の衆と化した野党そのものである。都政をまがいなりにも2期引っ張ってきた石原慎太郎氏に具体的な批判を展開出来た候補者や、マスメディアの人間が果たして居ただろうか。

 石原都政に代わる素晴らしい対案を持っている政治家が存在すれば、石原慎太郎氏を引きずり下ろしたいマスメディアや、フェミナチにとってその政治家は願っても無い広告塔になったに違いない。

 石原慎太郎嫌いな方々よ、この選挙結果になったのはスキャンダルで叩き切れなかったマスメディアが悪いのか?”石原”というネームバリューに踊らされている都民が悪いのか?石原氏を支持する経済界や、政界からの後押しがあったからか?

 石原慎太郎氏の言うように「都民の良識」によるものなのか?

 それも私からすれば少し違う。石原慎太郎氏以上に「投票したい」と思った都民が少なかったから、ただそれだけだろう。

 「どうせ石原慎太郎より良い候補者が居たとしても、テレビやマスコミで取り上げられなかったら知名度も上がらず、当選など出来ないではないか。」、と言う方はマスコミは阿呆な集団と言う事で決定し、明日から政治ネタの番組を見るのを止め、そしてしっかり「テレビには映らないが石原慎太郎よりも素晴らしい候補者が居る」と家族友人知人ご近所へ流布して回る事だ。

 それも一人ずつオールを握っている我々の権利の一つでもある。私のように自分の意見を一方的にネットで公表することも手段の一つだろう。

 何もしない、建設的な対案の無い批判の中に国家の10年先すら見えて来るはずも無い。かの宗教団体はそうした手法等も含め、絶え間なく活動を行ってきた為に今政権の一部を担う政党へとなってしまっているのである。合わせて国民の政治への関心の低さがそうさせてしまった原因の一つでもあるだろう。

 メディアによって祭り上げられた偶像崇拝的な候補者に惑わされず見極め、国民一人一人がメディアリテラシーをしっかり持つべきである。

 石原慎太郎氏も74歳と高齢である。であるから、石原慎太郎氏自身や都民自身も石原慎太郎氏よりも上回る後継者の発掘がもう必要な時期に来ているのではないか。


*次は参議員選挙ですね、有志の力で是非とも『維新政党・新風』を国政へ参加させよう!


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★石原知事を攻撃と朝鮮総連

≪時事ネタ:幼稚なマスコミの報道姿勢≫〜何が問題なのかハッキリさせるべき〜

 どうやら一生懸命石原都知事の失脚を後押ししたいらしい。

石原都知事の四男、ダボス会議にも公費同行

一部引用

 東京都の石原慎太郎知事の四男(40)が04年1月、石原知事がスイス・ダボスでの「世界経済フォーラム年次総会」(ダボス会議)に出席した際、現地で開いた知事主催のパーティーでの大鼓演奏の舞台背景制作者として同行していたことが5日、分かった。事前調査と合わせ、2回分の旅費約120万円は公費から支出していた。都側は「演奏者の意向で四男が舞台背景を担当することになった。都が四男を選んだわけではない」と支出に問題はないとしている。

 石原知事の四男を巡っては、03年3月にも都の文化振興事業にからみ、公費でドイツ、フランスに渡航していたことが分かっている。今回は四男への直接の支出ではなく、演奏者側への委託契約の中に盛り込まれていた。

 朝日新聞の請求に対して開示された公文書や関係者の話を総合すると、四男が舞台背景を担当したのは、04年1月22日、ダボス会議開会中に現地のホテルで石原知事が各国の閣僚や企業経営者らを招いた「東京ナイト」。大鼓の演奏の際、舞台背景の「鏡板」の絵の制作を四男が手がけたという。



 結論から言えば何が問題なのか分からない。

 石原都知事が四男に依頼するように圧力を掛けた、私的な旅費の使い方をした、通常よりもべらぼうに高い予算を計上したなどそういった問題を指摘しない限りただの個人攻撃であろう。

 こういった重箱の隅を突付く様な問題を指摘している暇があるのなら外国人犯罪などのもっと大局的な問題があるのではないか。マスコミの報道姿勢とスキャンダルばかりを追っている暇な都議会議員は己の職責をまず全うせよ。

 こういった問題を指摘するならば中途半端に終わらせず、徹底的に追求するべきである。でなければ週刊誌の「疑惑」の域を出る事は無いだろう。


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≪朝鮮総連に対して追及の手を緩めるな≫

ここで朝鮮総連関連の時事情報を2点。

総連「科協」幹部親族 点滴薬、大量輸出図る 生物兵器に転用可能

一部引用

 朝鮮総連の関係団体「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)幹部の親族が、万景峰号で北朝鮮に大量の点滴薬を不正に持ち出そうとしていたことが26日、警察当局の調べで分かった。点滴薬は生物兵器に必須の細菌培養に転用が可能で、朝鮮人民軍では栄養補給用として不足しているとされる。北朝鮮当局が日本の医薬品を送るよう関係組織に指示していた疑いもあり、警察当局は「軍用物資」調達の一環とみて、薬事法違反容疑で捜査に乗り出し、背後関係の解明を進める。


朝鮮商工会捜索、一時もみあいに 税理士法違反容疑

一部引用

調べなどによると、元幹部は税理士の資格がないのに、同商工会に加盟する警備会社幹部に対し、税務署に提出する申告書類の作成の仕方を指示するなどして、違法に税理士業務をした疑い。同商工会は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の傘下団体で、加盟企業から融資などの経営相談に応じている。

 在日本朝鮮兵庫県商工会には5日午前8時すぎ、県警の捜査員十数人が捜索に入った。その後に出勤してきた職員が中に入ろうとして、警官らと一時、もみあいになった。同商工会前には、商工会の関係者ら約40人が集まり「不当捜査を即時中止せよ」と書かれたプラカードを掲げ、「弾圧をやめろ」などと大声で訴えた。


 「弾圧をやめろ」とはどの口が言うのか。それを言うならば北朝鮮に行って金正日に言ってこい。これ以上日本を食い物にする事は断じて許されない。

 警視庁公安部は27日、薬事法違反(医薬品無許可授与)容疑で、総連東京都本部(文京区)など6カ所を一斉捜索しするなど最近は朝鮮総連に対して厳しい捜査の手が伸びている。

 今まで事実上無法状態であった総連に対するこの一連の捜査で政治家との繋がりが出てくる事になる可能性もあるため捜査は徹底的に行って頂き今までの膿を出し切り、総連解体をお願いしたい。


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★石原都知事がブッタ切った!?

≪強い子供というのは、強い親から生まれるのでは!?≫
 〜誠に勝手な持論を展開してみる。〜


『教育論』

人それぞれ違うのは当たり前。今まで出来てた事が今は出来ていない。もっと悪い方向へ向かうのではと思う今日この頃。


そんな中、石原都知事だけがズバッとこの問題に切り込んだ。

自殺予告:大人によるいたずらの可能性?石原知事が見解

〜引用ココから〜

 東京都の石原慎太郎知事は10日の定例会見で、いじめ自殺を予告する手紙について、文章能力から「あんなものは大人の文章だ。理路整然としていて、私は違うと思う」と述べ、大人によるいたずらの可能性が高いとの見方を示した。

 石原知事は手紙を受けた文部科学省など関係機関の対応については「届けられた方は迷惑千万でね、放てきするわけにはいかないだろうから、防ぎようもない」と同情。

 また、「とにかく親が関与すべきではないか。私なんか、子どもにけんかの仕方を教えた。非常に効果があって、たちまち相手を倒したら小学校で番長になっちゃった」と自身の子育て経験に触れた。そのうえで、「自分で戦ったらいい。ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられるのではないか」と語った

〜ココまで〜


 文科省に送られた手紙の内容が本物かどうかは定かではないが、手紙を送る勇気があるならば、立ち向かう勇気もあるのではないか。

 しかし、立ち向かうだけが勇気ではないと私は思う。

 逃げる事も勇気の一つだ。この事で逃げる事は何も恥ずべき事では無いと私は思う。

 何でもかんでも立ち向かえというのは人格が形成されきった大人に対してはハッパに受け取られるが、子供に対しては『自殺しろ』とあえて言い放っているようなもんだ。

 大人になったら嫌でも逃げれない現実が待ち構えているのに、唯一逃げれるのは親に養われている子供の時代ぐらいなもんだ。



 石原都知事の持論は『喧嘩を覚えさせる』事であるがこれはこれで私は好きだ。

 『理想的』である。

 しかし、この記事の中では『とにかく親が関与すべきではないか』が一番重要でしょう。しかし、今は無関心な親が多い事多い事。

 これを良く頭に入れて欲しい。子供に無関心な親は『自分自身にも無関心』である事だ。

 これは『自己中心的』という意味ではない。親が『子供からどう見られている』かとか『子供からどうみられたいか』と言う事である。

 その確認が出来ない、しようとしない『自分自身にも無関心』な親は子供の気持ちも余り良く理解しようとしていないのではないか。

 そして、虐めが発生したら学校の責任。学校の責任。学校の責任。

 なんか違和感を感じるのは私だけか?


「学校がキッチリ監視していなかったから学校の責任。」

「学校側が把握していながら放置していたから学校の責任。」

「学校側が虐めた生徒を注意しなかったから学校の責任。」


 そりゃ、そう言われればそうかもしれんがマスメディアには、虐めた側の親や、虐められた側の親の責任を問う声が非常に少ない。

 親を注意しなければこの問題はいつまでたっても極度に悪い扱いの社会問題にされ続けるだろう。こういう問題が発生して、それが親の責任が一番に来る様な世の中になれば、少々おバカな親でも自分が悪者になるのが嫌だから一生懸命子供に関わろうとするだろう。

 親が関わらないで学校にマル投げするから、また学校の責任にしたくなる、してしまう、せざるえなくなる。結局、学校の制度の問題、世の中の風潮の問題に転嫁されて話が大きくなり、実際の闇は閉ざされていく。

 かのマザーテレサも言っていたらしいが、『愛の反対は”無関心”である』と。

 私はそんなに親に怒られていた方でもなかったし、会話も頻繁にする方ではなかった。むしろ父親とはゆっくり、じっくり話をした記憶が今までにない。
 しかし、私から親を見ていて『この一線以上の事をしたら怒られる、怖い!』っていうのはハッキリあった。

 それがあった事でそれ以上の事は余りしなくなるように自然となっていた。
(たまに脱線もしていたが・・・)


 会社の上司にしろ、学校の先生にしろ、子供の親にしろ、常々私が言いたいのは『いつもカッコをつけててくれ』である。頭が良い悪いではない。

 例えば、ある一つの事に没頭して妥協を許さない所があるとか、何事にも手を抜かず一生懸命であるとか、常日頃から凛としている風貌だとか。

これは一つの理想像として至極説得力のある論評を石原都知事は展開されている。
 ↓ ↓ ↓
石原慎太郎 教育論

 教育というのはある意味常に理想論で成り立たせないと駄目なのではないか。政治にも同じ事が言えるかもしれないが。

 理想なき現実追従は行き当たりばったりになる。その場限りの対処法、辻褄合わせの法理論、感情論だけの精神性。

 その事に一番最初に気付かなければならなのは『親』のほうなのではないだろうか。

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