今更、民主党、小沢一郎に何を期待しろというのだろうか。
この無節操な暴腕男に野党は烏合の衆と化している。

小沢、病気2006年4月7日、民主党党首となった小沢一郎は一目散に創価学会の「秋谷栄之助会長へ表敬訪問に行っている。小沢と公明との関係は昔から密接で、今までに3度も連携を組んでいるのだ。

(この体調では政権どころか野党第一党のドンを務めることすら難しい。)

小沢&公明合体の「1回目」は8党派を寄せ集めた細川内閣の時。
このとき小沢の裏での手ほどきで公明党は6閣僚ものポストを得ている。
現在の小泉−安倍内閣の1閣僚に比べたら権限は雲泥の差があった。
その後佐川急便事件が発覚しあえなく内閣総辞職となり政権を自民党に奪い返された。

「2回目」は野党の再度下野した後の「新進党」での公明との連携だ。
しかし、公明党の中では小沢アレルギーの物も多く、限られた人数しか参加するものがおらず結局新進党も2年ほどで崩壊。

「3回目」は現在の自公連立の基になった「自自公連立」で自由党として公明と連携した。しかし自民党、公明党との相対的な規模の違いにより小沢は居場所をすぐさま失くし数名の自由党メンバーとも散り散りになり落ち武者となってまたもや下野することとなる。

行き着いた先が、連立与党時の残党メンバーや、社会党の一分の寄せ集めで作られた鳩山・管らの「民主党」に拾われる形となって現在に至るわけである。


結局、小沢一郎という政治家は古い古い自民党権力闘争の権化のような事をただひたすら繰り返し、自民党時代に国務大臣など若干の政局に関わった以外は、政治とは無縁の「生き残れない政局屋」に成り下がってしまったわけである。

その屈折した時期を経たからかどうか分からないが、己の思想信条をも曲げてでも権力にしがみつこうと精神まで支障をきたしてしまったようである。
過去のエントリーをご覧頂きたい。
★信念を持たぬ男、それが小沢一郎。(後編)

人間って己の長い人生の中でここまで正々堂々と180度思想を変えれる物なんかなと自問自答したくなるような変節振りである。

「政策」は時期によって様々に変化を求められるけど根本的な「思想」はそう変わらないんじゃないのかな、大の大人で、一端のお偉い政治家だというのに何たる様なのか。特別会計じゃないけど呆れて物言う口が「もったいない」。

これならまだ共産党の方が一貫して筋が通っているでしょうな。
『たしかな野党が必要です』。う〜んブレテナ〜イ、永遠に野党宣言は潔い。間違っても支持はしないが。

本当にブレずに日本国のためを思ってやる気あるんならチャンとした思想・理念を持って入院せにゃイカンような体調をまず直してから与党批判してみてはいかがかな?。
小沢一郎民主党が政権を奪取し、『維持』←(これ大事!!)していく訴求力と実行力が本当にあると日本国民が判断すれば迷わず民主党に将来を託すだろう。
しかしそれもいつの日になることやら・・・



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